文学作品を連想させるスピッツの歌詞について
スピッツの曲を聞いていると、ふと、有名文学作品の一節が頭に浮かぶことがあります。今日は私がスピッツの曲を聞きながら密かに思い浮かべている文学作品について書いてみたいと思います。
ヒバリのこころ → 宮沢賢治の「よだかの星」
これはですね、もちろん鳥つながりで連想したって話なのですが。でもたくさん鳥がいる中であえての「ヒバリ」のチョイスだったっていうのが、「よだか」に通じるものがありまして。どちらも別に美しくわなく、どちらかというと地味な鳥ですよ。いやむしろ宮沢賢治の「よだかの星」の中では
よだかは、実にみにくい鳥です。
などと、よだかは酷い言われようです。
「よだかの星」は、鳥仲間の間でも醜い醜いと言われ続けたよだかが、鷹に名前のなかに「たか」が入っているのがけしからんという理由で名前を変えるよう強要されたことをきっかけに、自殺のためにさまよった挙句星になるという物語です。強烈な「生と死」の臭いに思わず目をそらしたくなるぐらい、およそ児童文学とは思えないお話。
このお話の中で山火事の描写があるのですが、スピッツの「ヒバリのこころ」のサウンドはその山火事に通じる、怖さを感じます。これ、褒めてるんですよ。
そして、このデビューシングルの「ヒバリのこころ」だけでなく、ファーストアルバムの「スピッツ」は全編を通して宮沢賢治のイメージを私は感じてしまうんですよね。ファンタジーなんだけど、扱っているテーマは「生と死」で、心臓を切り裂くような鋭さがあって、ちょっと背筋が寒くなってしまうような、例えば「注文の多い料理店」で感じるあの感覚をアルバム「スピッツ」からも感じてしまうんです。
スピッツの方は宮沢賢治作品よりもずいぶんマイルディになっているのがまた良くって、その世界観が私はすごく好きです。
三日月ロック その3 → 石川啄木
三日月ロック その3の歌詞のこの部分
いいことも やなことも 時が経てば
忘れると言いながらじっと手を見る
そして石川啄木の有名なこの短歌
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る石川啄木『一握の砂』
もうね、私の頭は「ぢ(じ)っと手を見る」と言われると自動的に石川啄木を思い出すようなシナプスのつながりになっているのですよ。草野さんが意識して作られたのかは分かりませんが…どうなんでしょうね?啄木のこの短歌、余韻がすごい…本当にすごい歌人だと思います。
もちろん、三日月ロック その3も大好きです。冒頭の
不細工な人生を踏みしめてる
に心を全部持って行かれてしまいました。
放浪カモメはどこまでも → 若山牧水&かもめのジョナサン
この曲はですね、タイトルから思い浮かべた文学作品が2つあります。どちらとも、孤独て孤高の存在のカモメ(鳥)、というところから連想しました。
一つは若山牧水のこの短歌。
白鳥はかなしからずや
空の青海のあをにも染まずただよふ
若山牧水『海の声』
牧水の孤高の白鳥にも、「放浪カモメ」と通じるものを感じてしまいます。
もう一つは、リチャード・バック作の「かもめのジョナサン」という作品です。こちらは高校のクラスの共有の本として置いてあったんですよね。なんとなく読んでみて、「とにかくカモメが一生懸命飛んでいる本」としか記憶していないのですが(汗)とにかく意味は良くわからないけど記憶に残る本です。そういう本ってありますよね。ヘミングウェイの「老人と海」とか、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」もワタシ的に同じカテゴリです。読んだ時は、なんじゃこりゃ、と思うのですが、記憶に深く刻まれる…これが名作というものなんでしょうか?
そんな名作と同じ香りのする、スピッツの「放浪カモメはどこまでも」です。