ハチミツの魔法にかけられて

スピッツ大好きアラサー主婦がスピッツについて語ります

思い出の授業~ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞解釈~

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今日は、私が歌詞について深く考えるようになったきっかけについて書きたいと思います。スピッツの話題からはちょっと逸れますが、ご勘弁ください。

 

思い出深い高校時代の国語の授業

私達の高校時代の国語の先生は、ちょっと変わっているというか、教科書を使った「普通」の授業をあまり好まない先生でした。今では高校時代に習ったことなんてほぼ忘れてしまいましたが、一つだけ今でも忘れられない授業があります。それが、その国語の先生がしてくださった授業です。

 

ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞解釈

その授業の内容は、ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞解釈をするというもの。私が通っていた高校は進学校で、いつも宿題は山盛り、ギチギチに詰まった授業を受けていたので、いきなりゆるいお題が与えられて面食らったものです。

さて、その「海を見ていた午後」。別れた恋人とよく来ていたレストランに1人でやってきて、彼のことを思いだす様子を描いた、切なく美しい歌です。

 

歌詞の表す意味を自分の言葉で説明していく

 授業は、歌詞の意味をひとつひとつ自分のことばに置き換えて状況(情景)を説明していくことで進んでいきました。この歌の歌詞は割りと分かりやすい方だし、解釈なんてそんなに違わないだろう、皆同じ情景を思い浮かべているだろう、と思っていたのですが、意外や意外。歌詞の解釈が十人十色でびっくりしたことを覚えています。こんなに人によって感じ方、受け取り方って違うんですね。

 

ソーダ水の中を貨物船がとおる

この授業で一番の争点となったのは、この部分。

ソーダ水の中を 貨物船がとおる

 氷の比喩じゃないかとか、色々と意見は出ました。実は、私も氷の比喩かと思っていた1人でした。でも先生の解釈はこうでした。

坂の上の高台の上にあるレストランから海が見えていて、貨物船が浮かんでいる。私はソーダ水が入ったグラス越しにその貨物船を見ている。

この解釈を聞いた瞬間に、この歌詞の持つイメージがガラッと変わって感動したんですよね。 歌の主人公がじっとソーダ水のグラスを見つめていること。きっと長い時間そうしていたであろうこと、が想像できました。

今考えると、これ以外の解釈はないだろう!ってぐらいピッタシなんだけど、その時は浮かばなかったんだよなぁ。でも「山手」も「三浦三崎」もどんなところか知らない田舎の高校生だからしょうがないか~。

この授業を通して、同じ歌詞を聞いても、聞いた人によって受け取り方が違うことに改めて気付かされました。そして、それはどれが正解ってわけじゃないんですよね。もちろん歌詞を書いたご本人にとってはもちろん正解はあるんでしょうけど…なんていうのか、受け取り方っていうのは聞いた人に委ねられている、というのが歌の面白くって深いところじゃないかと思います。色んな人の意見を聞いて、「そんな取り方もあるんだ~」って新しい発見があるのが面白い!

歌詞について作詞家が解説しちゃったらちょっと興ざめです。スピッツの草野さんも「歌詞の解説をするのは野暮だ」というようなことをおっしゃっていますよね。

 

山手のドルフィンに行ってみた

ところで、「海を見ていた午後」の舞台となったレストラン、ドルフィンは実在します。大学生になって関東の大学に進学した私は、どんなところなのか気になって気になって実際に足を運んでみました。JR根岸駅が最寄り駅です。

ドルフィンは、歌詞のとおり丘の上にあります。ドルフィンだけが丘の上にあるわけじゃなく、その辺り一体が丘。海のすぐ近くなのに、平地が少なく急に丘になっていて、そこに建物がびっしりある光景は横浜ならではの光景かも。

実際に行ってみたら、意外と海が見えなくってちょっとがっかりしてしまいました。歌がリリースされた自分から年月が経っていますから開発が進んだんでしょうね。本当に好きな歌は、自分の心の中だけで楽しんでおくのが幸せなのかもしれません。